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9.雑文集(投稿文)

以前にも書いた通り、ぼくは学生時代には「オリコン通信」に投稿するほか、MBS「ヤングタウン」の各曜日やNHK−FM(京都放送局)にもハガキを書いており、まさしく、「ハガキ職人」状態でした。確か、仁藤優子が表紙のオリコンに掲載されたことを考えると、もうどう考えても、12、3年前の話です。当時、ぼくのハガキを読んでくださったNHKの野村正育アナウンサーも今や全国の「顔」です。(その当時もずっと「とろりん村のとろり」でしたから、もしかすると、覚えているひとがいたりして...)

ところが、その頃投稿していたものは散逸してしまい、何一つ手元に残っていません。その反省から、各ホームページの掲示板に投稿したものをまとめておくことにしました。ですから、

「ほいほい歌謡曲」の掲示板と「PEANUTS HOLIDAY」の掲示板を常時チエックされている方は、特にこのページをお読みになる必要はないと思います。

1.ぼくのちあきなおみのベストフェバリットソングをあげるならば、

1.夜間飛行 2.X+Y=LOVE 3.四つのお願い

となります。

「夜間飛行」はロマンティックでセンチメンタルで、スケール感のある、まさしくぼくの好きな要素を全て兼ね備えた大好きな曲です。歌われている世界はこれまたぼくの好きな「ウィング」(松田聖子のLP「Canary」収録。彼女の発表した中でも屈指の名曲)に似たものがあります。

ただし、「夜間飛行」は「逃避行」(麻生よう子)「北国行きで」(朱里エイコ)や「私は忘れない」(岡崎友紀)と同様、交通機関こそ違えども、恋人とのいろいろな意味での別離を主題とした曲であるのに対し、「ウィング」は「夜間飛行」と同様、旅客機を舞台としつつも恋人との再会をテーマとした、歌謡曲の世界ではどちらかといえば少数派の存在だと思います。「夜間飛行」も「ウィング」も切なさのあるメロディ展開をみせる曲ですが、前者の切なさが別れの悲しさからくるものであるのに対し、後者のそれは、恋人との再会の喜びと不安、その他万感の思いからくるものであるという点において大きな対比を示しています。

「アテンション・プリーズ」(能瀬慶子)も「ウィング」に類似した主題をもつ数少ない例ですが、主人公の内面を見事に描写する歌詩と、メロディライン、そして、録音そのもの、これらのすばらしさという点で、とても同日をもって語れないものがあります。
「夜間飛行」「X+Y=LOVE」「四つのお願い」は通信カラオケの恩恵でカラオケで歌えるようになりましたが、「ウィング」は今のところ、「ユーカラ」くらいでしか歌えません。
松田聖子のアルバムは、少なくとも「Canary」まではどれも名盤(「ティンカーぺル」以降はもっていません)で、歌いたい曲はいっぱいあるのですが...。

2.グル−プサウンズの全盛期を昭和42年〜昭和43年とするならば、

ぼくは全くの子供で、その頃のことはぜんぜん覚えていません。ぼくにとってのミッキー吉野はゴダイゴのミッキ−吉野であり、ショーケンは「太陽にほえろ!」のマカロニ刑事です。(笑ってやってください。)
さて、ザ・スパイダースはぜんぜん聴いていないので、コメントが書けません。すいません。
ザ・テンプターズの曲の中でいちばん好きなのは「純愛」と「神様お願い」です。やっぱり、松崎由治のギターはとんでもなくかっこいいですね。
ザ・ゴールデンカップスだったら、「愛する君に」と「いとしのジザベル」が好きです。
「愛する君に」はぜひ、カラオケに入れてほしい。「はなさーないー、はーなしたくーな・あ・あ・いー」あー、歌ってみたい!
「いとしのジザベル」はシングルと「ザ・ゴールデンカップス・アルバム」に収録されているものと「ザ・ベスト・オブ・ザ・ゴールデンカップス」に収録されているものと、それぞれバージョンが違う。どうしてでしょう。リアルタイムで聴いていない悲しさ。そのあたりの事情がよくわかりません。この中で「ザ・ベスト・オブ・ザ・ゴールデンカップス」に収録されている「いとしのジザベル」がいちばん好きです。

3.1975年といえば、

ぼくは10才。小学校4年生くらいでした。ですから、桜田淳子もすごく大人に見えて、お姉さんという感じでした。
ぼくの桜田淳子の曲の中で不動のベストワンを占めるのは断固、「はじめての出来事」です。
あの曲はほんとうに好きです。彼女はどうも、歌うとき、「力み」がある。緊張しているような感じがする。音程をはずすまいと慎重に歌っているような気がする。しかし、あの曲は例外。のびのびと歌っていて、気分がいい。「ここまでついてきたが」の「が」という接続詞がどうも不自然だけれども、そんなことは気にならないほどいい曲です。(←気にし
てるけど)
彼女の衣装は、ピンクとか、黄色とかのミニスカートでないと...。スキーウェアというのはいただけません。アグネス・チャンや伊藤美紀がニーソックスではなくて、ルーズソックスをはいて歌うようなものです。
ぼくは、今でも「中3トリオ」の中では彼女がいちばん好きです。ぼくのその後の「サンミュージック」アイドル好きは、思えば、彼女から始まっていたのかもしれません。

4.「フライデーチャイナタウン」は

好きな曲です。
♪”It’s so Friday,Friday Chinatown”
でも、ぼくは泰葉の曲はこの一曲しか知りません。しかも、たぶん、レコードも持っていない。♪”わたし”は♪”異国人ね”です。
ただ、あの高音のボーカルを頭に思い浮かべるとき、連想ゲームのごとく次に出てくるのは、杏里の「思いきりアメリカン」です。こうなると次に「みずいろの雨」(八神純子)→「永遠の朝」(桑江知子)→「ラブステップ」(越見晴)となります。

または「フライデーチャイナタウン」→「嵐の金曜日」(ハウンドドッグ)という連想の「回路」もあります。

ぼくはカラオケにおいて「嵐の金曜日」を軽く歌うということがどうしてもできず、大友康平並み、あるいはそれ以上のパッションで歌ってしまいます。のどの調子が悪いと、これを歌い終わった段階でカラオケからリタイアせざるを得ません。(←自業自得)

1979〜1980の頃のニューミュージック(死語)シーンを知る人ならば、きっとわかっていただけると思うのですが。
もっとも、ぼくの中では桑江知子は一応アイドルにカテゴライズされています。たとえ今はロス・インディオスであっても。

5.ぼくと悪友2人がカラオケに行くときに

必ずやる「お約束ごと」のようなものがあります。
それは悪友Sが浜田省吾の「路地裏の少年」を歌って、3人でその歌詞の「すごさ」にひとしきり大笑いした後、ぼくが能瀬慶子の「アテンション・プリーズ」を歌うというものです。でも、それは単なる「浜田省吾つながり」に過ぎなかった。別に「アテンション・プリーズ」でなくても、例えば三谷晃代の「想い出のファースト・キッス」でもぜんぜんかまわなかった。でも、さすがにこれはカラオケに入っていない。だから、もっぱら「アテンション・プリーズ」を歌っています。この、たわいもない「お約束ごと」を何度くりかえしやってきたか、わからないぐらいです。
しかし、両曲が似ているということにはぜんぜん気がつきませんでした。なるほど、いわれてみれば、確かにそうですね!
ぼくはこの間、中古レコード店で買った梓みちよの10インチLP「こんにちは赤ちゃん」を聴いていて、ふと、「こんにちは赤ちゃん」(第一面第一曲)と「月光値千金」(第一面第二曲)がそっくりであることに気がつきました。中村八大は「月光値千金」にインスパイアされて「こんにちは赤ちゃん」を作曲したのではないか。あるいは東海林修はこのことを示唆するべく、「月光値千金」をこのように編曲したのではないか。そう思うと、レオン・サンフォニエットもそのように演奏しているようにもきこえる。ぼくは南沙織のファーストアルバム「17才」のA面に「17才」が、B面に「ローズガーデン」が収録されているのと同様の「作為」を感じました。しかも、こともあろうに「こんにちは赤ちゃん」と「月光値千金」とはこのアルバムの冒頭に並べて収録されている...。いや、こんなことはみなさんにとっては周知の事実なのかもしれない。当時、話題になったことなのかもしれない。でも、昭和40年生まれのぼくには知る由もありません。

6.石坂智子について

ぼくは下記のレコードをもっています。
「デジタル・レディー」(LP)「流れ雲」(LP)「ベストアルバム」(LP)
「ありがとう」(EP)「北国へ」(EP)

彼女のリリースしたEPで、LPに収録されていないのは「北国へ」(C/W「Day by Day)だけだと思います。(そういえば、倉田まり子にもこういう曲がありましたね。あれは「DAY BY DAY」。全部大文字表記でした。)
そういうわけで、ぼくは彼女がリリースしたレコードを全て持っているわけではありませんが、彼女が発表した曲は全部聴いているということになります。
彼女の曲はどれもいい。駄作といえる作品があまりありません。ですから、好きな曲を選ぶとなると、ひどく頭を悩ませることになります。やはり、伊藤薫と石坂智子は名コンビです。彼女は80年デビュー組の中ではマイナーな存在ではあります。しかし、好きな歌手です。

伊藤薫といえば、「小さな恋のメロディ」(水野きみこ )
これはすばらしい!ストリングスが美しくて、爽やかで、せつなくて、そして、彼女の声がものの見事にそれにマッチしていて、まさしく名曲です。

7.都倉俊一について

都倉俊一といえば、おそらく、一般的には「山本リンダやピンクレディーの作曲家」ということになるのでしょう。少なくとも、その印象が強いです。でも、ぼくはどうしても彼が彼女らに提供した曲に思い入れを持つことができないのです。まあ、単に好みの問題です。ぼくにはメロディアスでセンチメンタルな曲が好きな傾向があります。彼が山本リンダやピンクレディーに提供した一連の曲には今一つメロディに魅力を感じない、音楽がリズムとメロディ(そしてハーモニー)で成り立っているとするならば、どうも、リズムだけが全面に出過ぎていて、メロディがちょっともの足りない。そんな気がするのです。確かに都倉俊一は純粋なレコードセールスの面から見れば、どちらかといえばリズム重視の曲で成功をおさめました。しかし、これはぼくの素人考えですが、彼は本質的にはメロディ重視の作曲家なのではないかと思えてならないのです。

ぼくが好きな都倉俊一の作品を今、思いつくままあげると、
「あなたの心に」(中山千夏)「ジョニィへの伝言」(ぺドロ&カプリシャス)「逃避行」「午前零時の鐘」(麻生よう子)「感情線」「可愛い反抗」(黒木真由実)
「放課後」「好き!」(石江理世)「白い小鳩」(朱里エイコ)「個人授業」(フィンガー5)「何でもない何でもない」(柏原よしえ)「人魚の夏」(小林美樹)「HOW!ワンダフル」(倉田まり子)...。
LPだと、
「あなたにめぐり逢えて」(倉田まり子) これは収録されている曲が全て名曲。
「放課後」(石江理世) 石江理世が「個人授業」や「逃避行」をカバーしている夢のようなLP。

都倉俊一といえば、もうひとり重要人物を書き忘れていました。
「いとこ同士」(有田美春)
彼女はいまでも5円玉を集めているのでしょうか。

8.「ピンクレディの曲に今一つ思い入れをもつことができないのは、

都倉俊一の書くメロディがちょっと物足らないからだ。」という趣旨の文章をこの間、書きました。でも、それはあの投稿の主題が「都倉俊一」だったからであり、決して、「都倉俊一の曲が悪いからピンクレディの曲に思い入れをもつことができない」というわけではないのです。ピンクレディ自体は別論、彼女らに提供した阿久悠の歌詞もまた、どうにも今一つなのです。阿久悠としても、不本意だったのではないでしょうか。「売れっ子であるがゆえに時に不本意な作品も提供せざるを得ない」そういうことがあるのではないでしょうか。都倉俊一にしても、阿久悠にしても。彼らとしても、おそらく、石江理世や黒木真由実に提供した作品の方が気に入っているに違いないと思うのです。この二人と目黒ひとみが後に結成した「ギャル」に提供した阿久悠の歌詩も、おそらくは、彼にとっては不本意なものだったと思います。ぼくは、いたずらに彼らを好意的にみているのではありません。このコンビが作り上げる世界は、本来、すばらしいものなのです。(このことは、ぼくのホームページにおいて書きましたので、ここでは詳しくは書きません)
プロの作家は時としてこういうことがあると思います。もう一つ例をあげましょう。後藤次利は「おニャン子クラブ」(およびそこから派生したグループとそのメンバー)に書いた曲で、レコードセールス面から見れば、成功をおさめました。しかし、曲そのものは同じく「ソフトクリーム」に提供した曲の方がいいと思うのです。「おニャン子クラブ」に比べれば、はるかにマイナーな存在で終わったけれども。確かに、「おニャン子クラブ」のアルバムも好きです。しかし、ぼくは「ソフトクリーム」のLP「デビュー・ザ・ベスト」を聴くと、どうしても、こちらの方に軍配をあげてしまいます。
はたして、後藤次利は「ソフトクリームに書いた曲の方が気に入っている」と語っているのをその後、何かの本で読みました。
都倉俊一にしても、阿久悠にしても、そうなのではないかと思います。

あえていうならば、「ソフトクリーム」は病的な「おニャン子クラブ」だと思います。いや、むしろ、「おニャン子クラブ」は健康的な「ソフトクリーム」と言った方が正確か。「ソフトクリーム」には不健康な翳りがあります。 

10.まあ、確かにいい父です。(笑)
父が同じ話を繰り返しする人がもうひとりいました。それは「長嶋茂雄」です。
父と長嶋はほぼ同い年です。父は長嶋の大ファンで、長嶋がヒットを打った、ただそれだけで家のどこにいようとものすごい勢いでテレビの前に駆け付けるのでした。単なるポテンヒットです。しかし、それでも、父はスロービデオを大喜びで見ていました。(...)
自分が同志社に行ってた頃、立教と試合があって、西京極(球場)に見に行ったら、国松が長嶋にホームランを打たれたが、それがものすごいホームランで...。というような話を父から何度きかされたことか。長嶋が引退した後、巨人のサードがエラーをしようものなら、「長嶋はこうではなかった」と必ず言うのも、まさしく、ザ・ピーナッツについてと同じです。
まあ、よく考えれば、長嶋もザ・ピーナッツもほとんど同じ頃にプロデビューし、また、同じ頃に引退しています。父は、自分がデビュー当時から見てきた「すごい人」を一生懸命ぼくに伝えようとしていたのでしょう。
ぼくのレコード箱の中に梅木マリとか斉藤チヤ子とかのレコードが入っていたり、カラオケで「逢いたくて逢いたくて」とか、「ふりむかないで」を歌ったりするのも、ぼくが子供の頃に両親から「ザ・ピーナッツ」に加え、「弘田三枝子」だとか「園まり」「中尾ミエ」「森山加代子」「スリー・ファンキーズ」だとかの話をいやというほど聞かされてきたからというのは否定できません。ぼくは60年代の彼ら、彼女らをリアルタイムで知らない。けれども、決して遠い存在ではなかったのです。ぼくは子供の頃から歌が好きでした。ですから、両親の話を聞きながらそれはいったいどういう歌手だろうと大いに興味をそそられていたのです。
そういう意味で、椎名林檎の気持ちはよくわかります。
「椎名林檎の今度の曲はいい」というメールがこの間友人から届きました。彼は、ザ・ピーナッツをよく知らない男で、それが「東京の女」だということも知りませんでした。ぼくはここぞとばかりにザ・ピーナッツについて教えてやりました。こうして、ザ・ピーナッツが歌い継がれ、語り継がれていくのかと思うと、やはり、うれしい。

11.若葉のささやき(天地真理)

もちろん、この曲も好きです。歌詞からみても街に輝く若葉をみて、内面の陰鬱さをなおいっそう痛切に感じる。この点を描いた名作だと思います。曲からみても、イントロのギターを聴いた時点で、ぼくをすでにその世界に引き込んでしまう。名曲だと思います。春の「若葉のささやき」。秋の「色づく街」(南沙織)。ぼくにとって、この2曲
は双璧をなす存在です。しかし、どちらかといえば、「水色の恋」や「若葉のささやき」より「ひとりじゃないの」や「虹をわたって」の描き出す世界の方が、より彼女らしい。(ぼくの思い込みです。)そういうことなのです。

70年代で燃えつきてしまったというのはぼくも同感です。ぼくの最も敬愛する都倉俊一にしてもそうです。ほんとうに残念なことですが。

小泉今日子の場合、「私の16才」にしても、「素敵なラブリーボーイ」にしても、オリジナル(森まどか「ねぇ・ねぇ・ねぇ」、林寛子)の方がはるかにぼくの胸に訴えかけるものがあった。満ちあふれる生命力といおうか、躍動感といおうか、その点で歴然とした差を感じました。もちろん、森まどかと林寛子は70年代屈指のボーカリストだと思っていますから(この点についてはまた、詳しく書く機会もあろうかと思います。)それをもって小泉今日子を責めるのは酷かとは思います。デビュー曲のタイトルのつけ方が同じ事務所の南沙織を意識しているような気もします。これは勘違いかもしれません。彼女はやはり、当初、明らかに70年代を引きずっていた。彼女がブレークしたのは独自に新しい世界を切り開いた、ひとえにその点にあるのでしょう。こんなことはぼくごときが今さらいうまでもないことですが...。


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