サイト内検索 powered by Google

22.永遠の名歌手・灰田勝彦

左のサムネイルをクリックしてみてください。         

(内袋の記述 →  

このLPは戦前、戦中、終戦直後にビクターがSP盤としてリリースしたものを1962年にLP盤として復刻したものと思う。

ぼくはこのLP盤を買ってから、何度も繰り返し聴いてしまった。音は貧弱である。そして、雑音も多い。しかし、聴いているうちにそんなことは気にならなくなる。どの曲をとっても、それほどまでに心惹かれるのである。

灰田勝彦の歌唱を言い表わすならば、「粋の極み」の一言に尽きる。いっさいの贅肉を削ぎ落としたような軽やかな歌唱。而して、素っ気なさは微塵も感じられず、心に自然とくい込んでくるのである。誠に魔術的である。彼は、しばしば「ハワイ生まれの江戸っ子」と呼ばれる。いったい誰が最初にそう呼んだのか、知る由もないが、言い得て妙な表現である。

さらに感じるのは、曲そのものの水準の高さである。スイングからタンゴ、ハワイアンに至るまで、それぞれのジャンルの音楽のよさを見事に取り込み、自家薬籠中の物としている。思えば、「歌謡曲」とは、そういうものであった。(過去形にしなければならないのが寂しい限りであるが。)それは、既に戦前に芽吹いていたのである。古の音楽愛好家たちが蓄音機の前でこうした良質な音楽に接していたのかと思うと、誠に感慨深いものがある。

このLP盤には計16曲収録されているが、ここで、ひとつひとつの曲についてあれこれ言うのは避ける。ただ、言っておきたいのは、当時の音楽家、そしてレコード会社の志の高さである。第1面の第6曲目に、かの名曲「東京の屋根の下」が収録されている。これは昭和23年にリリースされた高らかなる「東京讃歌」である。服部良一の手になるスイングの心弾む名旋律、そして、「上野は花のアベック」「銀座は宵のセレナーデ」と佐伯孝夫のすばらしいフレーズが次から次へと連発されるのであるが、ぼくはこれを聴くたびに胸がじーんとして、どうしても泣くのをおさえられない。

昭和23年。それは、当時、中学2年生のぼくの父が京都から片道20時間以上も費やして、東京へ修学旅行に行った年でもある。上野駅周辺は戦災孤児と浮浪者であふれかえり、排泄物の悪臭が漂う悲惨なところであった。木炭バスみたいなボロボロのクルマに乗って見物した銀座などの東京の「名所」はことごとく焼跡で何もなく、バラック小屋が立ち並んでいただけだったそうだ。ぼくはこの話を子供の頃から耳にたこができるほど、繰り返し聞かされた。父によれば、「東京」と聞いて、頭に浮かぶのは、今でもそういう悲惨な光景らしい。父はそのとき以来、一度も東京へ行っていないのだ。

「上野は花のアベック」「銀座は宵のセレナーデ」。それは、「東京の屋根の下」が発表されたときには、まさしく「幻」に過ぎなかったのである。しかし、佐伯孝夫はあえて、そういう詩を書き、「なんにもなくてもよい 口笛吹いてゆこうよ」と人々に激励のメッセージを送ったのである。そして、服部良一はこの曲を歌うのにもっともふさわしいのはビクターの灰田勝彦だと考え、彼に歌ってほしいがために、コロムビアの専属を降りたのだ。灰田勝彦のカラリとした粋な歌唱を聴くたびに、この曲に携わった人たちの崇高な精神にぼくは心うたれるのである。この曲を聴いて、どれほど当時の人々は励まされただろうかと想像しつつ。

14.10.9

歌謡曲、女性アイドル音楽...etc「モナ・ムール!歌謡ポップス」 新キャプチャー画像集 「モナ・ムール!歌謡ポップス」EP盤のコレクションと、そのレビュー キャプチャー画像集 随筆集 


過去の掲示板(2) 新キャプチャー画像集INDEX 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 EP1 EP2 EP3 EP4 EP5 EP6 EP7 EP8 bbs1 bbs2