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13.魂を危うくさせる曲(その2)

「老人と子供のポルカ」(左卜全とひまわりキティーズ)はコミカルではあるが、決してナンセンスソングではない。労働運動、新左翼によるゲバルト、交通事故が多発していた1970年当時の社会へ向けた密やかなメッセージソングである。

「老人と子供のポルカ」(左卜全とひまわりキティーズ)はよくわからない。

子供の頃、左卜全がこの曲を歌っているのをテレビで見て、子供心に不気味に思ったことを覚えている。確か、やたらに大勢の子供たちに取り囲まれながら左卜全は椅子に座ったまま「やめてケレ やめてケレ やめてケーレ ゲバゲバ」と超然としてこの曲を歌うのである。今から振り返っても異様な光景であり、異様な曲だった。

今でもこの曲がラジオから流れたりすると居心地が悪い。何か落ち着かないのだ。正体不明というか、意図不明というか、とにかくこのつかみどころのなさがぼくをして魂を危うくせしめているのだろう。

この意図不明ソングの「意図」を無謀にも把握しようとして、またしてもいたづらに考えをめぐらせた。

この曲は例の「ズビズバー、パパパヤ」で始まる。「魂を危うくさせる曲(その1)」であげた「グッと,,がまんして!!」と同じだ。しかしながら「老人と子供のポルカ」を「ドゥビドゥビ」「パヤパヤ」歌謡にカテゴライズするのにはためらいがある。「シュビドゥビドゥビ...」を「ズビズバー」にしてしまうところはどうも「ドゥビドゥビ」「パヤパヤ」歌謡を皮肉っているような気がする。この曲の底流にあるのはこのアイロニカルな視点かもしれない。

「やめてケレ やめてケレ やめてケーレ ゲバゲバ」の「ゲバゲバ」というのはたぶん、「ゲバルト」である。時代から見てもそう思う。このころ、もともと過激だった中核派が明確に「暴力革命論」を打ち出している。「血生臭いせん滅戦が必要だということを 大衆に隠すのは自分自身も人民を欺くことだ」というレーニンの言葉はまさしく彼らの常套句である。

また、それまで中核派の姿勢を「大衆闘争上の現象的激動を革命的激動と取り違える妄想」と批判し、反ゲバルトであった革マルも武闘路線に転じている。(この路線転換は安田決戦敵前逃亡事件による失地回復を目指したためと言う人もいるが、よくわからない。)このため、この頃には沖縄闘争、学園砦死守闘争、国際反戦デー、佐藤訪米阻止闘争、よど号ハイジャック事件(共産同赤軍派)と、たてつづけに「ゲバルト」が行われている。(内ゲバも含めて)

左卜全はこうしたいわゆる新左翼のゲバルトに眉をひそめてみせたのだろう。これは2コーラス目の「やめてケレ ジコジコ」3コーラス目の「やめてケレ ストスト」においても同様だ。

決して声高ではない。しかし、社会へのメッセージがこの曲にはこめられている。それでいて、プロテストはしない。「かみさま かみさま 助けて パパヤ」なのである。この状況は変えられない、神に助けを求めるしかすべはないという諦念、無力感がそこには感じられる。

これも声高なメッセージソング、そして、音楽で世界を変えられると信じている人たちに対する皮肉ととらえるのは考えすぎか。

12.3.11

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